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13歳の囲碁少年、「もう一度世界戦に出たい」

元リンク:https://home.yikeweiqi.com/mobile.html#/gonews/detail/65788

サイト:弈客囲碁

作者:新京報 孫海光

 

8月6日、第5回夢百合杯世界囲碁公開戦が鄭州で行われ、三回戦までの手合いが終了。64人の棋士の中で、最も若いのは2010年6月生まれの王舜博初段。今年3月に予選通過し本戦の出場権を獲得したとき、王舜博はまだアマチュアの7段だった。先月、この13歳の少年はプロ入りし、囲碁プロ棋士となった。プロデビュー戦が国際大会とのことから、王舜博は喜びと緊張を感じた。

 

プロ入りを目指す若者にとって、プロ入りはまるで登龍門ようなものである。しかし、王舜博と両親の喜びは数日で落ち着き、これはただ新たなスタート地点であり、将来の競争はより厳しいものとなることを理解した。次に、彼らはプロの道で直面する現実的な問題に向き合わなければならない。熱心に勉強し、棋力を向上させることで、早く昇段し、これからの囲碁人生をより遠くまで歩むべきだ。

 

囲碁とAIとの8年間

 

2023年7月19日、中国全国囲碁段位戦が浙江省衢州で終了し、王舜博は青少年部門で第二位の成績でプロ入りを決めた。8歳からプロ試験に参加し、6回目ので囲碁プロ棋士になったのだ。

 

王舜博は山東煙台で生まれ、5歳から内モンゴル、北京、杭州などを転々としながら囲碁を学んだ。2017年には杭州棋院に入学し、最初は2年間の研修クラスに通い、その後4年間ではプロ入りクラスに進み、多くの若手棋士と同じように早朝から夜遅くまで囲碁を学ぶ日々を送った。

 

毎日続く生活は少々単調に見えるかもしれないが、王舜博は常にその中に没頭し、盤上の変化が彼に毎日新しい収穫をもたらす。「一般の人からすると毎日同じように見えるかもしれませんが、実際には違う変化がある。」変化こそが王舜博を最も魅了する囲碁の魅力であり、それぞれの局面がもたらす喜びも異なる。局面の進行、碁並べ、詰碁など、多様な勉強方法があり、そのため退屈さは感じなかった。

 

母親の徐月坤は、「王舜博は2015年から囲碁を学び始めて、わずか8年ですが、生活や囲碁の勉強に関して、あまり心配してなかった。囲碁勉強と段位の進展は非常に順調で、親としては主にサポート役を果たし、日常生活の世話をし、将来的には囲碁の道で遠くまで進むことを望んでいる。」

 

過去の世代の棋士とは異なり、王舜博のような「2010年代」の若手棋士たちは、AI(人工知能)と共に成長してきた。王舜博もはっきりと覚えており、2016年にアマ5段に昇段した際、AIがだんだんと囲碁界に入ってきたこと、囲碁の学習方法も変化してきたことだ。AIの登場は、囲碁に一定の影響を及ぼし、王舜博はAIの影響を明らかに感じ、全局観や布局の理解が向上したと述べた。

 

ただし、王舜博は同時に、AIの登場によって棋士たちが依存感を抱くことになり、以前のように自分なりの碁や、実際の対局例がない局面に対し進めたくないことがあると述べた。「AIがなかった時、ただ単に考えた碁を打つ」。王舜博は、AIを適切に活用する必要があり、判断に対する影響が過度にならないようにするために努力する必要があると認識しています。「理解できない局面にぶつかった場合はAIを見ることもありますが、自分の判断や考えを保ちたいのが私の個人的な意見である。」

 

 

デビュー戦での敗戦、悔いなし

 

プロ入り後、王舜博はアマチュアの大会に2度出場し、優勝1回、準優勝1回を獲得し、調子と感触を保っていました。しかし、たとえそうであっても、13歳で夢百合杯の本戦に出場することは、彼自身も勝利を期待していなかった。「もちろん勝ちたいと思うが、まだ実力が足りないし、本大会に進出できたことはすでに非常にうれしいことだ。」

 

8月2日の抽選式の夜、王舜博は小走りでステージに上がり、司会者は笑って、「若い棋士はやはりエネルギッシュだ」と話した。実際、王舜博はとても緊張していた。夢百合杯の64人のリストには、ほぼ中日韓のトップ棋士が集まっており、これはコロナ禍後の最大規模の世界大会であり、王舜博はこのような大舞台を初めて経験し、緊張を解くのが難しかったのだ。緊張した気持ちはチェックイン時から始まり、当日にも続いた、これは以前にないことだ。

 

緊張感は2日目の対局開始まで続いた。対局室に入室後、王舜博はリラックス見えそうだったが、心の中では少し不安であった。碁盤の前に座って数手指した後、彼は少しずつ落ち着いてきた。

 

1回戦で、王舜博は日本の大西竜平七段と対戦した。対局前に、王舜博は大西竜平の棋譜を見て研究したが、いくつかの棋譜を見ても、相手の固定されたスタイルを見つけることができず、結局、自分自身を中心に準備するしかできなかった。後に明らかになったこと、大西竜平には確かに固定された戦法がなく。2回戦では党毅飛九段と対戦したが、大西竜平の黒1、黒5は盤面の中央に打ち、非常に珍しい非常識の局面を作り、結果30手ほどで大西竜平の勝率はわずか1%に減少した。

 

ニギリの結果、王舜博は黒番を当てた。中国ルールでは、黒番の勝率はやや低くなる。「黒番は確かに難しい。アマチュアの大会ではまだいいですが、相手が強くになると、黒番はもっと難しくなる。」大西竜平は、一力遼や井山裕太ほどの超一流ト棋士ではないが、デビュー間もないの王舜博に比べると、経験ははるかに豊富である。

 

王舜博は「少し残念だったが、後悔はない。非常に満足。」と話した。対局中自分の優勢がわずかであり、相手の実力も彼より優れていたため、負けるのは当然だと述べた。対局後の検討では、王舜博は全体的なパフォーマンスがまずまずだと自己評価しており、後半にチャンスがあると感じたが、打ち方が保守的だったと語った。

 

 

早く昇段し、国際大会に出場

 

夢百合杯は王舜博が初めて参加するプロの大会だったが、大会予選の時点では、彼はまだアマチュア7段だった。本戦時には、王舜博はプロ初段の棋士になっていた。プロ入り後の最初の手合いが世界大会であるため、王舜博は「1回戦止まり」の結果を受けて、今後はプロ棋戦の適応と囲碁の勉強が必要と振り返えた。

 

1回戦で大西竜平に敗れた王舜博は、実力の他に経験不足も原因で、プロ棋戦における持ち時間に慣れていなかったことを認めた。アマチュアの大会では、持ち時間が1時間にしても比較的長いとされており、1日に3局行われることもある。一方で、夢百合杯は各棋士に対して2時間ずつの持ち時間が与えられるため、持ち時間は大幅に延びたのだ。王舜博は「既にペースを遅くしたが、それでも秒読み入れなく、時間をコントロールできなかった。」と述べた。また、夢百合杯の開始時間は12時30分であるため、アマチュアの大会とは異なる開始時間に適応するのが難しかったと説明した。

 

プロ入り後、一家は喜びの後に冷静になり、プロ転向後に直面する一連の現実的な課題に対処する必要があった。「以前は家族全員がプロ入りを確定させることに集中しており、これは囲碁プロ棋士にとって乗り越えなければならない登竜門である。」と父の王瑞林はこう語った。プロ入り後、プレッシャーはさらに大きくなり、競争も激しくなった。王舜博の前には、プロ初段や二段の棋士が数百人以上おり、その中にはハイレベルの大会に参加する機会がない棋士もおり、成績もイマイチである。

 

「親として、もちろん焦りもある。」王瑞林こう話した。「以前、王舜博はアマチュアの囲碁界隈では比較的有名で、大会ごとに良い成績を収めた。プロ入り後、心構えを整える必要があり、前方にはまだ長い道のりが待っている。彼が安心して囲碁の勉強を続け、棋力を向上させ、将来的には国を代表して大会に参加できるようになることを願っている。」

 

夢百合杯での初戦敗退後、王舜博は翌日揚州に向かい、第4回全国アマチュア囲碁オープン戦に参加した。この時期、彼はアマチュアの大会にも参加する資格を持っており、自分自身にとっても鍛錬の機会だと述べた。8月12日には、彼はシンガポールに出発し、第38回世界ユース囲碁選手権に参加する予定。これは王舜博がプロ入り後、初めて中国代表として参加する大会であり。今年年初、アマチュア棋士としてアジア囲碁選手権の優勝を獲得したのだ。

 

将来について、王舜博は早く成績を上げ、昇段し国際大会に出場したいと望んでいた。「次回の世界大会に参加するのはいつなのか分からないが、できるだけ早く出たい。」と語った。